余命宣告病棟第四話「彼の中の彼女」
あれはまだシトシトと雨が降る梅雨の時期だったと思う。
彼の診察をして彼と共に廊下を歩いていた時だった。
中庭で雨に濡れながら泣いてる彼女を見つけた。
いつもとは違って静かに雨なのか涙なのか分からないくらいだった。
私も彼も慌てて傘とタオルを持ち中庭で彼女を抱き寄せた。
何が起きたかはその時の私たちには分からなかった。
私たちの彼女のイメージが壊された瞬間だった。
聞いてみれば友達が亡くなったらしいとのこと。
まぁ、この病棟にいる限りぶち当たる闇だろう……。
その日、雨は止むことはなかった。
彼女の涙のように……。
その日の夜、彼から私はコールを受けたので部屋へと足を運んだ。
簡易電気だけがつけられたその部屋で眼鏡をかけて本を読む姿があった。
声をかけると眼鏡を外し本を閉じた。
「すみません、夜だというのに呼び出してしまって……」
「主治医なんだ、いつでも呼んでくれて構わない」
いつものように言葉は少ない。
元より私も彼も無口の部類に入るんだろう。
彼はそれから視線を外に向ける。
「彼女…泣いてましたね…」
思わぬ話に私は驚いた。
彼が彼女を気にするとは思わなかったからだ。
こういう面倒事は嫌うのではないかと思っていた。
「気になるのかい?」
私はそれとなく聞いていくことにした。
彼は私の質問に考え込んでる様子だった。
自分のことなのに理解していなかったのだろうか?
それとも、いくつもある答えの中から一番近いものを探しているのだろうか?
「僕の中での彼女は笑っていました」
ぽつりと話す。
静かで彼らしい話し方だ。
「そうだな。きっと周りの誰もがそう思っていただろう……」
その言葉に彼は目を伏せて静かに話し出す。
それは彼らしからぬ言葉の数々だった。
「僕は彼女が『死』に対してなんとも思ってないと思っていました。
自分が死ぬその時まで、周りで死んでいく人間を簡単に受け止めて、笑ってるようなお気楽な性格だと思っていました」
彼から『死』について触れるとは思わず思考を動かす。
彼の意見はもっともだ。
彼女からは『死』なんて漂わせない。
お気楽、と思われても仕方ないだろう。
しかし、今日の彼女を見てしまったらどうだろうか?
「死は近くにあるものだよ…君も、彼女も…そしてこの病棟にいる全員」
「僕も…。あまりの平和な日々なので忘れていました。僕たちは死ぬんですよね……」
私はその言葉には返事はしなかった。
してはいけないと思ったからだ。
「先生…僕は彼女と話してみたいと思いました」
「それは君の答えに辿りつくのかい?君だけの生きていた答えに……」
彼は私のことを見ていた。
あぁ、生き急ぐ彼の答えがそこにあるんだと確信した。
「答え、というのかは分かりません。ただ、なにもない僕が残せるものがあるのならあの子が、彼女が持ってる気がしたんです」
彼も確信していた。
そこに、彼が彼であった何かを遺せると…私はそう感じた。
彼の手紙にはこんな風に書かれていた。
『とりあえず生きることを選んだ僕とは違う世界にいる彼女が眩しく思え触れ
てみたいと思いました』
その時だった緊急用のPHSが鳴った。
私は彼に少し待つように言って電話に出た。