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余命宣告病棟11話『先生』

次の日、彼は変わらず部屋で静かに本を読んでいた。
とても静かな時間だった。
彼の彼らしい時間。

私は前日の彼の様子からは想像出来なかった。
ドアの前でその姿を見つめた。
これが本来の彼の姿。
誰にも干渉を受けず、独りきりでただ『死』を待つ。

どうしてだろうか?
そんな姿がどこか虚しく感じた。
何かに思いを寄せる事なくただ、その時間を静かに過ごす。

「やぁ、先生。来ていたなら声をかけてくれたらよかったのに…」

彼は読んでいた本を閉じ、静かに微笑う。
そこには、彼女と会う前の彼とも、彼女と会ってからの彼とも違う表情を見せた。

私は少し驚いた。
彼にこんな表情が出来るとは思わなかったからだ。

「どうしたの、先生?」

「あ、いや。なんでもない。診察の時間だ、少しいいか?」

彼は柔らかく笑うと、本をベット脇の机に置く。
こんな表情の彼に私は動揺していた。

そして、どこかでまだ私達の物語が続いているのではないだろうかと、思ってしまった。
彼を変えた、彼女と、私を変えた死んでいく2人の…そんな悲しい物語が…。


そして、いつもと変わらず診察が終わり、カルテの整理をしていた。
病状経過や、今後どのような治療方法でいくのか…。
私は1人パソコンに向かい悩んでいた。

本当は彼女の死を引いているのは私自身なんだろう…。
だから、彼にはなるべく死んで欲しくなかった…
その為にあらゆる手段を用いても生きて欲しかった。

 

 「先生」

調べ事をしていた私にふいに看護師が声をかけてきた。
振り返るとドアの間からは【彼女】の両親が頭を下げてこちらに挨拶した。

こういうパターンはいくつか私もあってきたが、いつもなら挨拶だけして【忙しい】と言う理由を付けて話は聞かないのだが…。
だが、あの【彼女】の両親だ。
合わせる顔はなかったが、それでも向き合わなくてはいけないと思い席を立ち廊下へと、出た。

彼女の事、とてもお世話になったとお礼の言葉をいつまでも綴っていた。
私は自分の無力さに、胸が少しだけ痛んだ。
覚悟して、割り切っていた【死を宣告】するこの病棟に今更戸惑っていたのだろう。

そして、帰り際に一冊の本とそれに挟まっていた写真を渡して、深くお辞儀をして行った。
父親は帰り際に私に一言残した。

「娘はきっと、幸せでした」


私はただただ、深くお辞儀をすることしか出来なかった。
溢れんばかりに彼女は愛して、そして…愛されていた。

本は彼女の日記のようだった。
しかし、今の私にはそれを読む勇気はなかった。
そして挟まっていたのは、私と彼が一緒に写ってる写真だった。

私は何の為に医者になったのか、本当に分からなくなった。
人の死をこんなに簡単に受け入れる為なんかじゃない。
病気で苦しむ人達に生きて欲しかったはずなのに…何故、それを当たり前のようにしてしまったのだろうか?

初めて担当した子供が死んだ時のような、いや…それ以上の痛みに胸が押し潰されそうになった。
…そう、これが【人が死ぬ】と言うことだ。
流していいものなんかじゃない。

「先生?」

廊下で立ち尽くしていた私に後ろから声がかかり吃驚して、振り返る。
そこには…彼が居た。
驚いた顔の私を心配そうに見つめる。

そうだ…私はまだやらなくてはいけないことがあるのだ。
1日でも多く彼に生きて居てほしい。
死ぬ為だけにこの病棟に居るのではないのだと、感じて欲しい。

私は彼に彼女の日記と写真を見せた。
彼はパラっと見ると微笑って返した。

「彼女にしてはちゃんと書いてたみたいだね?せいぜい三日坊主かと思ったよ」

それは、皮肉では無く、本心なんだろう。
彼女と一番長く居た、彼の心。

「…先生。どうせ、読んでないんでしょう?」

「何故そう思う?」

彼は少し、目を瞑り下を向いたが直ぐに微笑った。

「先生だからさ」

この日の事彼の手紙に書いてあった。

『あの日、先生が彼女の日記を読んでないと思ったのは、彼女が既に先生は読まないと言っていたから。だから、僕も読んでいないんだろうと思ったんだ。』

そう、2人は私の性格を良く理解していた。

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